2022年春東海道初日

4月23日、東海道53次、初日。

日本橋〜品川〜神奈川宿。

8:05出発、15:20着。

暑くて、ばて気味。

昼は川崎で鰻重、夜はみなとみらいでステーキコースでエネルギー補給。神奈川宿ゴール近くで気になる雰囲気の神社を発見。洲崎神社だった。頼朝ゆかりだそうで、鎌倉幕府直轄の神社。明治元年、天皇御東行時に内待所奉安殿を造営されたとか。

三井ガーデンホテル京橋。2021年より東海道53次ウォーク前泊宿として利用。翌日、日本橋まで東海道を逆行10分ほどになるが、定宿化。

8時ジャスト出発にこだわっていたけれど、8:05、出発。初日は、ずっと都会歩き。

東海道最初の宿場町、東海道品川駅とは少し離れていて東海道を歩く前は、立ち寄ることのなかった道。道幅は、旧東海道のままという。日本橋を出発して、初めて、旧東海道らしい雰囲気を感じることができるところ。

品川宿本陣跡。明治5年(1872)んお宿駅制度廃止後は、 警視庁病院などに利用された。現在、跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されている。

 

東海道に面した品川寺(ほんせんじ)は、平安時代前期に開創され、「品川」の地名の由来となった品川区で最古のお寺です。江戸六地蔵のひとつ地蔵菩薩は3m近くあり、1300年間、 旅人と町の人々を見守っています。

かつて東海道「六郷の渡し」があった場所に建てられた「明治天皇六郷渡御碑」。

この場所は東海道が現在の神奈川県と東京都の間を流れる多摩川を超えるために設けられた「六郷の渡し」があった場所。

古くは、1600年に徳川家康が「六郷大橋」を造らせ、あの「関ヶ原の戦い」に向かう東軍の軍勢はこの橋を渡っていったそう。当時は「江戸の三大橋」のひとつに数えられていました。

その後洪水により江戸前期だけで5度に渡り架け替えが行われましたが、1688年に橋が流された後は橋は造られず、長らく「六郷の渡し」によって人々は東海道を往来しました。

時は下り明治元年(1868年)、明治天皇東幸の際には23隻による舟橋が架けられたそう。それを記念して現在の「六郷橋」の川崎側の袂に建てられたのが、この「明治天皇六郷渡御碑」です。

ちなみに、「六郷橋」は明治に入り改めて造られましたが、明治〜大正期にかけても3度も流されたそう。現在の橋は1987年に完成したもの。

以前は通りの向かいの蕎麦屋「増田屋」がいきつけだったけれど、2021年より割烹「まるだい」に。やはりエネルギー補給にはそばより鰻かな。

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京急 八丁堀駅手前の松尾芭蕉の句碑。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」

1694年5月、 江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀への帰途、川崎に立ち寄り、門弟たちとの惜別の思いをこの句にたくしたと。 読めない。

キリンビール横浜工場の脇にある生麦事件の碑。ここを過ぎると、あとは国道15号の歩道をひたすら歩いて、神奈川宿へ。青木本陣跡を過ぎ、京急線神奈川駅まで歩く。

神奈川駅に向かう直前にある神社。

建久2年(1191年)6月26日源頼朝公が安房国官幣大社安房神社の御分霊を勧請し、幕府直轄の神社として創建した。明治元年10月11日明治天皇御東行の砌、当社境内に内侍所奉安殿を造営された。同16年郷社に列せられ、同40年神饌幣帛料供進社に指定された。
 また平成2年御鎮座八百年祭において日本有数の御神輿を奉舁し、往時の御浜下祭を偲んだ。

東海道初日のゴール。京急神奈川駅より、桜木町までは電車で向かい、ホテルに泊まる。

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